益田氏(ますだし)は、石見国益田を本拠としていた武家。本姓は藤原氏といわれる。はじめ浜田の御神本に居館を構えたことから御神本氏(みかもとし)を称した。後に毛利氏に臣従し、関ヶ原の戦い後は長門国須佐を領した。
一族の通字は「兼」。家紋は「上り藤に久の字」。
益田七尾城主八代益田兼見は長慶天皇の応安七年(1374)、今から六百数十年前、寺塔を中須から清滝山下(現門前町)に移転改築し、従来の名称「安福寺」を改め「万福寺」とし自らの菩提寺とした(現住職神一倫道氏)。益田兼見か更に当山鎮護の神として天満宮を境内の西北に当たる中門外益田川堤の側に建造した。この建造については次のような経緯がある。ある年、益田兼見が東国より船で益田へ下向のとき、大晦日の夜に中須浦に着船し安福寺へより越年した。この時天神への信仰を大いに深め間もなく天満宮を建造した。